沖縄そば豆知識
起源
沖縄そばの起源については、明確な記録がなく諸説あります。
14世紀末に中国の明から伝わったという説や、15世紀から19世紀にかけて中国から琉球王朝に訪れていた冊封使によって伝わったという説なども。いずれにしても、その起源が中国にあることは間違いないようです。そして高価な小麦粉を使うため、しばらくは宮廷料理としてのみ食されていたようです。
大正時代
大正時代まで、沖縄そばのスープは豚ダシをベースにカツオ節と塩、そして現在より大量のしょうゆを使用していたため、スープはかなり黒みがかっていました。
しかし大正13年にゆたか屋が突如として白いスープを発表して大繁盛します。これはしょうゆの量を抑えて塩を利かせただけのことながら、ゆたか屋の店主が「ワッターシルジョーユーチカトーン(うちは白い醤油を使っている)」と周囲に言いふらしたため、同業者は白いしょうゆを求めて県内をしらみつぶしに探しました。
中には大阪や東京まで買い付けにいった沖縄そば屋もあったといいます。現在のスープの原型ともなったその味は、製法の謎が解けるまで他店を大きく引き離す繁盛を続けたのでした。
昭和30年代
小麦粉100%の沖縄そばは、製麺するときラーメンと同じようにかん水を使うことがほとんどです。
しかし昭和30年頃まではすべての沖縄そば屋がかん水ではなく、木の灰を真水に浸してその上澄みを粉に混ぜていました。木灰には無機塩類(カルシウム、カリウム、ナトリウム、マグネシウムなど)が豊富に含まれ、これを練り込むことで強い腰と独特の風味が生まれたのです。
上澄みの取り方によって麺の色は違いました。名護に初めて開業した梅屋の麺は黄色く、1日に2000杯を売り上げたという国際通りの井筒屋は麺が灰色だったと関係者は語っています。
一度だけ井筒屋がかん水を使って沖縄そばを出したとき、客たちはすぐ「昨日の麺を使ってるのか!」と怒り出したそうです。
現在も木灰を使って手打ちしている沖縄そば屋は何軒か残っているので、かん水との違いを確かめてみるのも楽しいかもしれません。
そばの日
沖縄本土復帰から4年後の昭和51年、公正取引委員会から「沖縄そば」という名称使用に関してクレームが入りました。
「……そばの名称は、蕎麦粉が30%以上混入されていること……」とする全国生麺類公正取引規約に反するというのがその根拠でした。
沖縄そばに蕎麦粉はまったく入っていません。しかし長年親しまれてきた「沖縄そば」の名称も守らなければならない。そこで当時の沖縄県生麺協同組合理事長が、県内の公正取引室と再三交渉を重ねますが折り合いはつきません。
そこで理事長は東京へ飛び、全国生麺協同組合連合会会長を説得し、ともに東京本庁へ直談判します。そして粘り強い交渉を重ねた末、昭和53年にやっと「本場沖縄そば」の名称使用が認可されました。
現在は認可された10月17日を「沖縄そばの日」と制定して、先人たちの苦労に感謝しつつみんなで沖縄そばを食べています。
平成〜現在 沖縄限定沖縄そばカップ麺発売
平成12年7月21日から23日までの3日間、世界の主要8カ国首脳による第26回主要国首脳会議が名護市の万国津梁館で開催されました。
これを機会に日清食品はラ王の沖縄そばを発売しています。当時の開発事情を日清食品広報部がこう語ってくれました。
「すでに他社商品で沖縄そばはありましたが、すべてフライ麺であったことから、より麺に本格感のある生タイプ麺を使用したラ王ブランドにて開発しました。
お土産用としてではなく、あくまで県民の方々をターゲットにした商品設計を心がけ、試作品を何度も地元で試食していただきました。厳しい意見も頂きながら本物の沖縄そばを再現できるよう務め、ようやく完成したのです」その後も全国展開することなく沖縄での地域限定発売は現在も続いています。
歴史が丸わかり!沖縄そば年表
- 1392年(明徳3年)
- 現在の福建省から洪武帝の命を受けた久米三十六姓が来琉。支那そばを伝えたとされる。
- 1404年(応永11年)〜
- 中国との朝貢貿易が始まる。以降22回に渡り来琉した冊封使によって麺類が献上される。
- 1887年(明治20年)
- 那覇を中心に料亭や寿司屋、パン屋など多くの飲食店ができるも「沖縄そば店」あるいは「支那そば店」の存在はなし。
- 1902年(明治35年)
- 観海楼が「支那そばや開業」の広告を新聞に載せる。辮髪の清国人コックが作る通称『唐人そば』として人気を博す。
- 1905年(明治39年)
- 観海楼で働いていた比嘉牛が独立して比嘉店を開業。ベェーラーそばと呼ばれ、唐人そばと客を奪い合うがスープや具の改良に努力したベェーラーそばが勝利する。
- 1913年(大正2年)
- ウシンマーそば開業。具として初めてカマボコを使用した他、ヒッパーチの辛みも利かせたことからこれが八重山そばの原型ではないかとする説は根強い。それを裏づけるようにこの20年後、八重山の手打屋に「うしあんまそば」というメニューが登場している。
- 1916年(大正5年)
- 支那そばの表記を「琉球そば」に変更するよう当時の那覇署長が指導を始める。
- 1920年(大正9年)
- ゆたか屋開業。ゆたか屋はこの4年後に具として紅しょうがを導入。さらに白いスープの開発にも成功し、大評判となる。後に「毎日2000杯を売る」伝説の名店として語り継がれる井筒屋も同じ年に開業している。
- 1925年(大正14年)
- 井筒屋、かき氷を出し始める。このときから沖縄そば店とかき氷の関係が生まれる。
- 1929年(昭和4年)
- 万人屋開業。沖縄そばの他に、太巻き寿司やいなり寿司を出して大評判となる。沖縄そば専門店が出すサイドメニューの元祖的存在。
- 1945年(昭和20年)
- 終戦。国内唯一の地上戦を体験した沖縄は、沖縄そばの名店を含め多くの建物が破壊されてしまう。
- 1948年(昭和23年)
- 那覇の神里原や平和通りなどを中心に大衆食堂が増え始める。期を同じくして井筒屋や万人屋、三角屋といった戦前の名店達も続々と国際通り周辺に店を再開させる。
- 1950年代中ごろ(昭和30年前後)
- 製麺所から沖縄そばが売り出される。それまですべて自家製手打ちだった沖縄そばがこれにより家庭でも気軽に味わえる食事となる。
- 1972年(昭和47年)
- 沖縄本土復帰。
- 1975年(昭和50年)
- 名護でソーキそばが誕生する。元祖は丸隆そばと我部祖河食堂の二説あり。評判となり、以降沖縄そばのバリエーションが広がる。
- 1976年(昭和51年)
- 「そば粉が30%以上入っていないと『そば』の名称は使えない」と公正取引委員会より沖縄そばの名称についてクレームがつく。
- 1978年(昭和53年)
- 『本場沖縄そば』の表示が特殊名称として10月17日にようやく登録許可される。
- 1997年(平成9年)
- 沖縄生麺協同組合が10月17日を『沖縄そばの日』に制定。